インド・ハイデラバード赴任日記

1年間インドのハイデラバードへ赴任になった社員の日記、自分の考えの整理、安否確認、日本への情報発信を目的に、インドでの生活環境日々の出来事つらつらと書いてゆきます。

6/4(土)ムンバイへ1日目

赴任しても少しで二ヶ月が経とうとしています。

ハイデラバード市内の観光名所は、一通り?回ったので、ムンバイへ行きました。本当は、インド一の絶景と言われているハンピという場所に行きたかったのですが、チケットが取れず断念。またの機会に行こうと思います。ムンバイの人口は、約1200万人とインド一を誇ります。よく、ムンバイの通勤ラッシュの光景を目にしますが、実際に、電車に乗ってみると、おびただしい数のつり革がぶら下がっていました。

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電車に揺られて、トビーガードへ。ここは、今だに手洗い中心の洗濯場街。橋の上から写真を撮りましたが、下に降りて中を見せてもらおうとしたら、300ルピーかかると言われたので、やめときました。
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その後、タージマハルホテルとインド門がある場所まで、移動するのに、初めて相乗りタクシーを使いました。助手席にのったのですが、助手席に2人座らされました。じゅうじゅう状態で、ミッションのギアハンドルがカツカツと足にあたります。数キロをわずか10ルピーで移動できてラッキー!
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タージマハルホテルへ到着。このホテルが建てられたのは、インドが英国の植民地下にあった1903年。英国人によって翻弄されていたインドにあって、インド人の実業家、タタ・グループの創始者であるジャムシェトジー・タタがが、インド人が泊まれる高級ホテルを建設したのが、このホテルである。
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その向かいには、インド門。この門は、第一次大戦の戦死者慰霊碑であり、イギリス統治政府によって1931年に建立。壁にはインド兵戦死者約9万の名前が刻みこまれているそうだ。
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そして、かつかつのスケジュールの中、いざ、エレファンタ島へ!船はお世辞にもきれいではないし、海もめちゃめちゃ汚い。片道1時間ほどかかるなか、エレファンタ島に到着。着いてから、石窟群にたどり着くまでに徒歩で30分程度。次に行くことはないかな。。
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そして一日目のしめは、レオポルド・カフェ。1871年に設立されたレストランで、『シャンタラム』っていう小説の舞台としても知られるようで、主人公が通いつめるレストランとして登場する。
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かなりのハードスケジュールで1日目を終了。
後半戦は、次のブログにて、、

そして人生は、つづく、、、